伊那谷暮らし日々のこと 8月を迎えて Vol.14

伊那谷暮らし日々のこと  8月を迎えて  Vol.14

ご無沙汰しておりました。

毎月ごとにブログ更新!と張り切って始め、日常の中で写真をあれこれ撮り集めてはコレを載っけよう!なんて考えたりしていたのですが、実は文章を綴る事が苦手でして(忘れてました)だんだんと頭が病めるようになってきておりまして…。

今年は春から企画展やクラフト出展の制作が忙しくなるとわかっており、加えて畑仕事の真似事が面白くなってきて、ジャガイモ植えたら更新するかかぼちゃの種が芽を出した、よしコレも載っけよう金時豆蒔とモロッコインゲン蒔いて、なす、キュウリ、パプリカ、ピーマン植えたよ。なんてしてる間にもう6月、更新いつするの?

師匠仙人春日さんが3月我が家に軽トラに耕運機積んで走ってきて、丁寧に耕し堆肥を入れてきれいで上等な畑をこしらえてくれたおかげで、見る人皆さん感心されるくらいどの野菜も立派に育っている様子、コレ載っけなきゃ!お知らせ情報満載の日々だったのに。

この頃ブログは?とか、暮らしの様子拝見するの楽しみにしています等というお声を頂戴しながら、せわしくってついついブログ更新が一番後回しになってしまいました。こういうのをズクがないって云うんですね、この辺りでは。

《4月10日  12日の景色です》

4月は9日夜半から雪、21年ぶり季節はずれの大雪となり12日再び雨から雪に変わるという具合。大曾倉の畑仕事始まりは5月の連休明けから本格的に稼働なのでさほど影響はありませんでしたが、梅雨の時期が長く日照不足でトマトや梅、ナスの実りの具合いが良くなかったようです。我が家のトマトも7月終わり頃からようやく赤く色付き始め、梅仕事も6月から始めカリカリ漬け、甘煮、梅干し、さしす漬けと全て漬け終わったのが7月の終わり。昨年と随分違うお天気具合の中で野菜の成長を楽しみ、変化していく山の表情を飽きもせず眺めています。野菜の収穫が始まるとなれば待っているのは人だけではなく、野のものたちもそうなんですね。昨年も主にハクビシンとおサルが頂戴していくケースが多かったようです。上の保子さんがトマトをハクビシンが食べて行ったとしょんぼりして話してくれ、西の下の池上さんは「毎年のことだからね」といつもと同じようにあれこれ植えて、宮脇さんは畑で作っていたナス、トマト、キュウリを今年は母屋のすぐ前に場所を変えて植えられました。「コンパクトでいいですね」と言うと、「サルに取られないようにこんな事をしている自分が寂しいよね」と苦笑いされたのが深く心に残っています。先住者である野のものたちとの関わり方には思う事いっぱいあるのですが、ひょっこり住み着いた者にはわからないこと、長くこの地で生き続けてきた人たちの想いもあるわけで、安易に判断してはいけないことのように感じています。でも本当は、いたってシンプル。少しだけ譲る事を苦にしなければ、それ以上の苦しみも痛みも生まれないと思うのですけれど。

4月26師匠がジャガイモを植えつけるのに28mのひと畝、江本家用に提供してくださり3kの種芋キタアカリとホッカイコガネを教わりながら植えつけました。

収穫までの期間、芽欠きや虫取りのお世話を受けようやく晴れた725日、手掘りではありません(笑笑)師匠がジャガイモ掘り機なるものでガ〜〜〜ッと。

で、我々素人はそれを拾って終わりと思っていたのですが。掘り起こしたジャガイモを一時間程放置し、一個一個湿っけた土を落とし腐りが無いかを確認してコンテナに入れるんですね。一週間程したら再度お芋さんに腐りが出ていないかを確認しながら表面をきれいにします。

おおよそ70kgの収穫。やはり長雨の影響は若干あったようですが、初めての大収穫量に驚き、手間のかかるプロセスを経て手元に届いていた事が分かったのはとてもいい勉強になりました。ちなみに師匠の収穫量は軽く江本家の4倍かな!

《物干し竿じゃ味気ない、と師匠。わざわざ竹を切ってきてこのとおり。お見事!》《こちらはタマネギの収穫です。立派に育ってくれました。師匠のことのタマネギの半分くらいの大きさだけど..。プチオニオンとしても作り 丸ごとスープ煮に^ ^》《物干し竿じゃ味気ない、と師匠。ちゃっと軽トラ走らせ竹を切ってきてこのとおり。お見事!》

《なかなかの風景。いい感じ〜》

2度目の春を過ぎ夏を迎えたわけですが変わらず新鮮な感じかと思うと、いつからここに暮らしているのかっていうくらい長くいるような。いつだったか、以前暮らしていた西尾市の友人から「西尾が恋しくなったりしない?」と尋ねられた事がありました。えッ?そう言えば一度もないんですね。自分で改めて振り返っても不思議なほど「西尾が恋しい、懐かしい、帰りたい」ってありませんでした。コレはどういう事なんだろう。私の父は東京生まれで戦時中小学生の時に西尾市に疎開。母は長野県北安曇郡小谷村が出身地で就職で西尾市へ。というふうに西尾市で代々続いてきた家ではありませんでしたし、私にとっては生まれ育った土地でしたが、あるものを大切にするとは別に土地や家に執着する家風(教えとか思想とか)はなく、人とのお付き合いにしても[決してひとりで生きているわけでなく大勢の人たちの助けがあってこうしていられる]これが前提にあったうえで、それほどしょっちゅう人と接する時間を求め、持っていたわけではありませんでした。かぞえるほどの大切な友人とは実質的な距離は離れてもこれが支障になる訳はなく、強いて言うなら大曾倉が候補地となったほんのいっとき、心に震度1くらいの揺れがあったくらいですね。夫はずいぶんと揺れたと思いますが特にこの時期、三河の蒸し暑い夏をエアコンはもちろん扇風機さえ使わないでいられる大曾倉を満喫していると(多分)思います。《仙人のスモークチーズ友人の吉田夫妻のリクエストで春日ハウスでパーティー。シーフードや五平餅。信子さんの美味しい手料理いっぱいで^ ^》

西尾在住時、駒ヶ根に出掛ける道が帰る道となり、西尾市に帰る道が出掛ける道となった不思議な感覚も無くなり月に1~2度愛知県に出掛けた帰り道、中央道でナビから「長野県に入りました」のメッセージが出ると「さあもうひと息」駒ヶ根インターを降りて天竜川を渡ると「帰ってきました!」の感があります。

7月終わりにご近所の春日さんの母上様が他界され、隣り組としてお手伝いに参加させていただきました。この辺りでは式に参列されなくてもお参りに来て下さった方皆さんにお食事をお振る舞いする風習がセレモニーホールを使うようになった現在でも依然残っています。

その日の葬儀告別式は2時からでしたが11時にお手伝いする隣り組10人が先ず先にお昼を頂戴し、ご遺族ご親戚やお参りに来られた方々に女性陣はお食事の給仕配膳をしました。  おこわとおうどんは必須メニュー。天ぷら、煮もの、お漬け物に加えてお肉料理も並んでいたのには驚きでした。精進料理って?ここでは拘らないのですね。交通の便が悪かった昔、遠方から時間をかけてお参りに来て下さった方々をもてなす名残で大勢の人がこれもご供養のかたちと召し上がって行かれました。

2時からのお式が終わり3時半からは精進落としの始まりで、この場では隣り組のお手伝いの労をねぎらうとの事で式の主催側の方々が次々とビール瓶片手に来て下さって「お疲れ様でした。至りませんで。」とご挨拶しながら思いました。旅立った人の思い出話し、残った者たちの繋がり、いろんな事を再確認する大切な時間になっているわけです。初めての事でとにかく至りませんででしたがこういう時間を共に過ごして、大曾倉の住人になっていくんですよね。合掌。有り難い機会でした。

今日84梅干しとさしす漬けの天日干しを始めました。このところ午後からの雷と豪雨が続いていましたが、今日からしばらくは大丈夫そうです。6月に漬けたものと最後のものとではひと月以上の差がありますが、いずれもそれこそいい塩梅の表情をしています。畑仕事は夏野菜の収穫に加えて、お大根や野沢菜の種蒔きの土づくりの準備です。また師匠や信子夫人に一から教わりながら。

本業は823日から安曇野のギャラリーぬく森さんで企画展、92122日が浜名湖アートクラフトフェア出展が決まっています。蒲郡市のクラフトフェアと静岡県のArts &Craft静岡、山梨県の甲斐クラフトフェアにエントリー予定ですので、結果が分かり次第お知らせいたします。

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